後悔の供養
※ 死に関する表現が多く出ますので、苦手な方はお戻りください。
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Aさんは、母親の友人だった。
朝起きた後には白湯ではなく缶チューハイを飲んでしまうほどお酒に依存していた。
ある日の夜、スーパーマーケットでAさんに会った。元気そうに「この後も呑んじゃう!」と言って笑っていた。思い返せば、私の脳内で描かれるAさんは、見た目こそ派手だったけれど、いつだって笑っていた素敵な人だった。
次に会った時には、Aさんは既に四角い箱の中で静かに眠っていた。急性アルコール中毒だつた。大勢の人が泣きながら花を手向ける姿は、18歳の私が見るには残酷なシーンだった。
あの日、私が「呑み過ぎないでね。」と声を掛けていたら変わった未来を手に入れられたのかもしれないし、1つの命を救っていたのかもしれない。
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若くして私を産んだ母親はよく家を空けていたので、祖父母の家に預けられていた。
以下、祖父をBと呼ぶ。
Bは、好奇心で構成されていたような人だった。野菜を植えたのが嬉しくて、熟していないトマトを収穫してきては祖母に怒られていたり、朝3時に起こされたと思えば電車で東京に弾丸旅行をするような人だった。
Bには行きつけの蕎麦屋とラーメン屋があった。そこへ幼い私を連れ出しては、蕎麦屋で海老天を、ラーメン屋でチャーシューをこれでもかというほどに私に食べさせた。(とても美味しかった。)(後に「俺の分の海老天とチャーシューまで食べられるんだ」と言われる時もあったが。)
中学生になったある日、学校へ1本の電話が入った。
「Bが、危篤です。」
Bが暮らす病院へ向かうと、沢山の機械が身体に纏わりついて既に目は閉じていた。入退院を繰り返していることも、薬の数が増えたことも本当は気付いていた。それでも、私は「どうせ治る」と思っていた。
祖父母の家に行けば、また美味しい海老天とチャーシューが食べられるのだと、そう思い込んでいた。
私がBの病室に入った数秒後、心臓の動きが止まる無機質なあの音がした。
医者はこう言った、
「お孫さんにお会いするのを、きっと待っていたんですね。」
今年のお正月には、海老天とチャーシューでもお供えしてあげようかな。また、「俺の分まで食べられた」なんて言われたら困っちゃうからね。
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保育園の時よく遊んでいたCくんは、1つ年下だった。
よく遊ぶけれど、よく喧嘩もしていた。
それでも、次の日には仲直りしていた。
その日はいつも通り喧嘩した。
きっかけは些細なことだったのだ。おたがいに意地張って、強がって謝らなかった。
その日から、Cくんの姿を園内で見掛けなくなった。
次の日にも、その次の日にもCくんと会うことは無かった。
その週の金曜日の夜、新聞のタイトルに「D市で火事、○人死亡」と書かれていた。そこにはCくんと、Cくんの家族の名前が連なっていた。ペットが寒いからと灯油ヒーターを付けたまま就寝し、火がカーテンに燃え移ってしまったそうだ。
この記事を見た私は2日ほど高熱を出した。
どうせ後で謝れると思っていた私への呪いだったのだと5歳にして感じていた。
Cくん、あの時はごめんね。
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言葉は、伝えたい時に伝えなければ、書き留めておかなければ、幻となり誰の記憶にも残らず消え去る。
人間は地球上で最も強いかもしれないが、人間の命は地球上で最も弱い。
明日私が事故に巻き込まれて死ぬかもしれない。
私の記憶がリセットされたら、この後悔たちが一生成仏せず彷徨うことになる。
苦しかった私の感情が、少しでも供養されますように。
(ここまで読んでくれたあなたへ)
産まれてきてくれて、ありがとう。
毎日を、あなたらしく素敵に過ごしてくれて、本当にありがとう。
星が満ちた夜空のように、あなたの毎日が幸せで溢れますように。